美輪明宏「ヨイトマケの唄」…耳演劇。是非聴くべし。

今夜、(つーか昨晩になるのか)毎度水曜日のお楽しみ・テレビ朝日系列「国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉を見た。内容の面白さ(霊はいるかいないか信じるか信じないか、そういう野暮な次元は置いて置いて)はもとより、(江原さん曰く)「フジの『天国からの手紙』と共に、「かつてのおどろおどろしい心霊番組をようやくここまで高めた」という気概に惚れ、いつも見ている。

今回のゲストは、24時間テレビでも走った、「行列のできる法律相談所」でおなじみのあの丸山和也弁護士。人情派弁護士という肩書きだが、国分太一も言っていたがまるで「タレント・丸山弁護士」(弁護士、までが名前ね)とっいってもいいほどの砕けた(というかただ単に酔っ払いオヤジのような)弁護士で、正直自分はあまりというか全く興味がなかった。丸山弁護士よりも栄!滝田栄だせよ!オーラに!と愚痴っていたのだが。見ていたら、しごく真面目な面持ちで人生観や自分を「素直」に語る丸山弁護士にちょっとびっくりした。なんだ、この素人っぽさは(笑)まあタレントみたいだけど一応は素人なんで当然といえば当然だが、プロの歌手である細川たかしの時のそうだったが、番組というのを忘れているというか、無防備に素になりきってしまっていて、「自分の人生をマジで知りたい」という切実さが丸見えで、「こらこら、あなた仕事はどうしましたか」とテレビに向かって言いたくなるほど借りてきた猫状態に見えた(たかしは真剣な目で江原さんに「私の寿命はどれくらいですかね???」と訊いていたしな)

で、感想としては、面白かったは面白かったし毎度タメになったのだけど、ここで丸山弁護士の前世とか守護霊とかが僧侶だったのキリスト教徒だったことへの感想文を書いても仕方がないし面白くないと思うので(笑)番組の中で丸山が語っていた、美輪明宏ヨイトマケの唄について語って行きたい。

ヨイトマケの唄」作詞・作曲/丸山(美輪)明宏 1966 キングレコード

※ちなみに「ヨイトマケ」とは、「建築の地固めをする際に、大きなつちの綱を引くときのかけ声。転じて、これに従事する人足。多くは女性」(広辞林)ということである。

※「土方」という表現が、わけの分からぬ民放の放送規制にひっかかり、長い間民放テレビ局においては放送されなかった。単純に「土方」という言葉が「差別用語」だからであるという理由で。この歌を聴けば、差別的な内容で使用しているのか分かると思うのだけどねえ。摩訶不思議。ちなみに厳しそうなNHKでは「OK」だったそうな。

この唄は、高度成長期、社会の底辺で頑張っているのをあざ笑うような風潮があるときに、そんなものを蹴散らすような、汗水垂らして頑張っている人の「応援歌」のつもりで美輪さんは作ったそうな。社会の底辺…美輪さんの小学校の時の授業参観で、貧しい家の子の母親が、教室の隅に小さくなって姉さんかむりで土方の格好をして立っていた。休み時間になり、鼻を垂らした自分の子がお母さんうれしくて飛び掛ってくると、その子の鼻水を「チョロロッ」と吸って、教室の前の庭に「ペッ」と吐き棄てた。小学生だった美輪明宏は「ああ、汚い!」と思うと同時に、そのなりふりかまわない母親の愛に、強い衝撃を受けたという。社会の底辺で働く母の強い母性愛その母親の計り知れない愛情と、その愛情に言葉もないほど感謝の念を抱いている子どもの、唄と言う枠を超えて表現されているのが「ヨイトマケの唄」。

これを聴いた時の衝撃は、私自身忘れられない。初めて聴いたのは、3人目の子どもを出産した晩であった。間違いないと思うが、2003年1月10日の深夜、NHK教育テレビで「ETV特集美輪明宏」の再放送をしていたと思う。興奮して眠れないのでテレビをつけて、目に映ったものが美輪さんらしからぬハイネックセーターに黒いズボン・薄い化粧で、その姿で歌い上げたのがこのヨイトマケの唄であった。

こんなに、勝手に、歌の内容が映像になってリアルに心に浮かび上がり、涙を止めることが不可能で、胸が苦しくなる歌、初めてであった。出産直後の独特の精神状態…涙もろさとはまた関係なく、母親の愛の偉大さに、私は子を産み終えた体で自分の母親に思いをはせた。

美輪さん曰く、「(かつての銀座で)歌の出だし、『♪とうちゃんのため〜なら〜』を歌うと、皆笑う。しかし、歌い終わるころには皆一様に涙を流していた」という。実際その通りだ。大正琴の切ないメロディー。唄の中の少年は、貧乏でいじめぬかれている。抱きしめてなぐさめてもらおうとかあちゃんの仕事場に走ったら、姉さんかむりで泥と汗にまみれ、天に向かって声をかけている『働いているかあちゃん』の姿を見た。その姿を見て、「勉強するよ」と言いながら学校に戻るわけだ。少年は、何度かグレかけたが、それでも一生懸命勉強して大学も出て、「エンジニア」になった。しかし、ここまで育ててくれた、「汗と泥にまみれていたかあちゃん」は、もういない。苦労かけるだけかけて、死んでしまった。天に向かって少年は叫ぶ。「かあちゃん、見てくれ、この姿」。かあちゃんのおかげでここまで立派になったよと。

涙がだあああああ〜〜っ!である。ここまでこれ打つだけで。
唄の最後、聴くも者の涙腺にとどめを刺す。多分、涙を我慢して目に溜めていた人も、ここで堰が切れてしまうんでないか。

「今も聞こえるあの子守唄」が、聞こえるのだ。かあちゃんが、声を振り絞るように唄う。「…とうちゃんのためなら、エンヤコラ…!子どものためなら、エンヤコラ…!!」

美輪明宏、ニクイねっこのぉ!ド根性ガエル!である。(恐れ多い方に怖いもの知らずな書き方をしてしまった。汗)

つーか、これで泣かない人っているの??

いや、この唄はマジですごいと思う。ホント、起承転結での盛り上がりがなんとも言えない。これほど胸にせまり来る歌って、私は知らない。聴いたことのない人は(若者はオーラで美輪さん知ってても、歌を歌う人だって知らない人もいるかもね)是非聴いてください。「耳演劇」だから。勝手に名づけているが。耳で聞くお芝居。このヨイトマケの唄は、ちょっとした演劇に相当するものだと思います。ラジオドラマは比じゃないね。

皆、聴き終わったあと、それぞれの母親のことに思いをはせるんじゃないかなあ。
私も苦労かけたからなあ。「学校行きたくない」って、何度言ったことか。かあちゃん、ごめんよ、何度も仮病つかって体温計を脇に挟んで「ダッシュこすり」して意図的に上げたことあるんだよお。その都度、働いている貴女は、仕事休めるかどうか、他の人に代わってもらえるかどうか、朝から電話で頭下げていたね。高校生になっても、学校が嫌で駅まで行ったものの身を翻し帰って来ちゃって本屋や図書館で時間潰してたこと何度もあるんだよ。かあちゃんは今でも知らないと思うけど…

親になって本当に、母親の苦労が分かる。どれだけ一生懸命子どものためにつくしてきたことか。まったく見返りを求めることなく。子どもの時はそれがどんなにありがたいことか、全く分からなかった。本当母性っつーもんは無償の愛だと思う。決して見限ることなどなく、こんな私に付き合ってくれた。…孝行しなくちゃなあ。

ヨイトマケの唄/いとしの銀巴里/人の気も知らないで

ヨイトマケの唄/いとしの銀巴里/人の気も知らないで

ついでに。

浪漫(ゆめ)-さらば昨日よ-

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