をいをい、「最後のナイチンゲール」よ!

終戦記念特別ドラマ ひめゆり隊と同じ戦火を生きた少女の記録 最後のナイチンゲール

見ました。戦争関連のドラマはほとんど見ているので、いわゆるひとつの「習慣」ということで。感想。実話でもなんでもない、ただ単に沖縄戦を部隊にした「ありえねー!」満載フィクションだった。

いや番宣を見たときから不吉な予感はしていたのだよ。
(それは言わずもがな、テーマ曲に、故「本田美奈子.」が歌う「アメイジング・グレイス」が使われていたからだ。番宣でさえテロップで「歌・本田美奈子.」なんてわざわざ書かれていた。ようはそれが一つの「売り」だったのね。
をいをい、アメリカの奴隷商人が改心して作った歌(事実)が、なんで沖縄戦をモチーフにしたドラマのテーマ曲に選曲されるんだあ?こりゃもう「戦争」と「美奈子.」を使った「意図的涙腺狙い」ドラマだね!とは思っていたのだが(笑・じゃあ見るなよって感じだが)ここまで期待を裏切ってくれるとは思いもよらんかった。

「戦争」というものを題材にして、明らかなフィクションでも過剰演出でも、「思いが伝われば」良いというのはどうだろうかと思う。「製作者の伝えたい抽象的な思いが、戦争という舞台を借りて、明らかな過剰演出が混じっても具体性を帯び伝えることができれば」というのは、実際戦争を体験した方々に失礼なんじゃないかと思う。企画プロデューサーは遊川和彦か。そーかそーか(笑)一昨年は「さとうきび畑」、昨年は松たか子の広島の原爆のも、確かにアレだったな(笑)

多分(というか明らかに)このドラマは、「生命の尊さ」を謳っていると思う。なんせ主人公が助産師だ。あー命はドラマになるなあ。そんで従軍看護婦がようけいて、傷痍兵を看護するわけだ。あー命はドラマになるなあ。んで戦火の中、赤子を取り上げる。あー命はドラマになるなあ。出産最中は取り囲むアメリカ兵も日本兵もおとなしく見守る。ほらほんと命はドラマになるでしょ。で、勘違いからその場でドンパチ始まって産婦がお母さんになった途端打たれて死んじゃうのよ。赤ちゃんも。まあ、なんて残酷、戦争って!ね〜命ってホントドラマになりますねえ。で、好き合ってる助産師役の長谷川京子庇って腕に重傷を負った椎名桔平死ぬ前にハセキョーとまぐわうの。…ああ、命ってドラマに…

なるかああああ〜!!!腕から血がどくどく噴出してんのに、まぐわっとる余裕あるかあ〜!!ハセキョーも上に乗るなあ〜!桔平も雄叫びあげんな〜!!

り、りありちーが…りありちーはどこ行ったんでしょうね母さん。僕のあのりありちーは…。

ここまでドラマで脱力したのは、初めてかも。いや、正直な話。

沖縄の戦火をかいくぐって来た人たちや、従軍看護婦だった方々が見たら、どう思うんでしょう。「戦争ってあんな呑気なもんじゃない」きっと一様にそう言うと思うが。イコール「戦争知らんやつらは、戦争があんな呑気なもんだったと誤解しないだろうか」と危機感を抱くんじゃないかなあ。現代が作る戦争ドラマの宿命だが、なんて綺麗に呑気にロマンチックに描かれているんだろう、戦争。画面から汗と血のにおいが全く伝わってこない。それは仕方ないにせよ、血を流して瀕死の状態でのセックスはあれは酷いだろう。男と女のまぐわい、子作り行為がたとえ「命の尊さ」、「愛しあう素晴らしさ」「生きている」証だったとしても。まぐわいの終盤、桔平がハセキョーの上になって抱きしめたが、動くんだろうか身体。
製作サイドが伝えたいことは、確かに理解できた。
しかしあまりにつっこみどころ満載で、涙腺がゆるい、もうガバガバガバ子の私でも(笑)今回はちっとも緩まなかった。先週同じ番組域で放送された「2千人の孤児の母 澤田美喜物語 ~母たるは地獄のごとく~」.
は目が腫れるほどボロボロ泣いたのに。

あれも高橋かおりの年配スタイルがコントのおばあちゃん以外の何者でもなかったことや、ケン役の「カシアス内藤(プロボクシングジム会長)」が台詞棒読みだったことや、なんでバーバラ役の中山エミリが年取ったら辺見マリになるのか…等、突っ込み所満載だったが、やはり実話に忠実に描いているからか、ホントに泣けた。

あれは実話だからいいんであって。あれがフィクションだったら、「あんな時代にアメリカ兵と日本人女のハーフの孤児院作った人間がいたわきゃねーだろ」って「なめとんのか」ドラマになってたわな。

最後のナイチンゲール」。
モデル上がりの人形みたいに見目麗しい女優と(整いすぎて感情移入できないのね、助産師役が室井滋なんかだったらちょっとマシだったかも知れないけど)従軍看護婦演じる「眉毛の整った」従軍看護婦たち。「玉城」とか「照屋」とか、苗字の割りには顔が「やまとぅー(大和の人…本土の人って意味)」だったな(笑)沖縄の綺麗な海。出産の時、日本兵アメリカ兵もただじっと見守る「美しい時間」。死ぬ間際の彼と、生きる喜びを味わう「美しいセックス」。まぐわい後、「あなたも頑張って生きてね」とお腹に話かけるハセキョー(このシーンは本当に寒い)ハセキョー亡き後、沖縄兵に降伏を言い渡されて、海に飛び込んで自決する住民を見つめながら、「私たちは生きるわ」と白旗を上げる女学生たち。女学生の一人、成海璃子が戦後助産師になり、現在、(老いて八千草薫にバトンタッチ)お産で苦しむ若い妊婦に「私は戦争の中でうんたら」説教を始め、勇気づけられた妊婦が頑張って産む。そう、陣痛中にそんな余裕などない。(私自身3人出産経験あるが、助産師が陣痛の間「戦争中は…」うんたら説教始めたら、きっとその助産師のアゴを蹴っ飛ばすね・笑

…ああ、目にお星様がキラキラ…桔平の足は股下150センチくらいあって…。

以上、実話を元にしたのでもなんでもない話の、まったくリアリティーに欠けた「沖縄戦物語」。なんか里中満智子あたりが描きそうだな(笑)こんな70年代の少女漫画みたいな(それじゃ70年代の少女漫画に失礼か)「終戦記念特別ドラマ」、実際戦火をかいくぐってきた方たちに対してとても失礼なんじゃないかと思う、しつこいようだが。22日の朝日新聞のテレビ欄「試写室」に、「物語後半の出産シーンと大胆な性愛描写に、戦争が遠くなったことを感じた」と書いてあったが、
全く同感。「戦争の悲惨さを現代に語り継ぐのが役目」の終戦記念ドラマが、「戦争が遠い過去のもの」に描いてどうする!!

あ、意外にそれが目的かも…。(笑)

今がいかに戦争が過去のものになり、「こんなフィクションが作れちゃうほど」遠いものになったが、「なんやかんや言ってもあんたら、今は平和なんですよ」ということが製作サイド側の意図にあったのかも(笑)

まあいいや。とにかく、戦争という舞台・時代設定を「愛」や「ロマン」を語るスパイスにしないでくれ。それが実話だったら泣けるが、フィクションだったら「なめとんのか」。

…中学生の頃、夏休みの読書感想文で、「悲しい話だと書きやすいから、戦争の話がいい」とひめゆりの塔を選んだことがある。戦争の話は現代の豊かさを比較できるから、感想が書きやすいのだ。ちなみに高校生になっても「火垂るの墓」とかを選んでた(汗)
そう、戦争の話は、悲劇だから、物語(感想文も含む)が成り立ちやすいのね。

だからこそ、今回「最後のナイチンゲール」はやりすぎだったと思う。話は確かに作りやすかったはずだ。無論ドンパチやってばたばた人が死んだから、生理的にも「戦争の悲惨さ」も伝わって来た。
しかし「愛」「命」を盛り込みすぎて、「寒く」なってしまったとは確かに思う。

とどめの一刺し。
本田美奈子.の「アメイジング.グレイス」。私は美奈子.の闘病から最後までを描いたノンフィクションでこの曲が流れている間中ずっと涙腺ゆるみっぱなしだったが、今回はあまりにもミスマッチ過ぎてまったくうるうる来なかった。やはりドラマや歌にもTPOってもんがいかに大事か思い知らされた。あれは冒頭にも述べたが、まったく場違いな歌。

参照URL「アメイジング・グレイス物語」
http://www.hi-ho.ne.jp/luke852/agstory.html

戦争を経験した方々と、お空の本田美奈子.&戦没者に謝って欲しいようなドラマだった…。

(結局、なら見るな!ってことだな。。)

アメイジング・グレイス (DVD付)

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